短歌は「詠む」のか「作る」のか

とある人のブログで話題に上がっていたので考えてみる。
その方は「作る」派だそうだが、私はどちらでもないなあと思う。しいて言えば「詠む」か。作れた試しがないので。
私の場合は、短歌に限らずアイデアなんかはシャワーを浴びてる時とかトイレの時とか垢すりしてる時とか電車を待ってる時とか歩いている時とか寝る前とか、とにかくスーパー無心タイムにポンと思いつくことが多い。降りてくるの待ちという感じ。だからお風呂場にも防水メモはあるし枕元には携帯が欠かせないしそれらを人に見られた日にはもう…。あと他のタイミングとしては、タイプ中の変換ミスとか読んでいた本のフレーズからとか。
作るっていうのは自分の中でのメソッドが確立しているということだと思うだから、それはそれで羨ましい。たぶん題詠なんかの時は私もそれに近い作業をしようとしているはずなんだけど、「あーもう浮かばないし今日は考えるのやめよう」と思った瞬間にイメージが沸き立ったりするのでやっぱりダメ。
とにかくぼおっとしていることがどうやら重要らしいんだけど、会議や研修なんかの時はいくらぼおっとしていても*1未だかつて浮かんできたことがない。否応なしに来る外界からの刺激ということかな。

*1:してるんかい