母と歌

先日、短歌クラスタの皆さまとご飯をいただいたときに「短歌をやっていることを家族は知っている?」という話が出た。
わたしの場合は、NHK短歌に初めて入選した頃はまだ実家にいて、オンエアをテレビのあるリビングで早朝に見なければならなかったので、必然的にバレてしまっていた。その、父母がテーマの歌でなんともいえない表情をされ、母の白髪から歌を作ってみれば微妙な顔をされ*1別れの歌を出してみれば昔の恋人のことを蒸し返され、正直「言わなきゃよかった」といつも9割くらい思っている。なまじ関係が近いだけに、「全部ファンタジーなので」などという言い訳が一切通用しないのも難しいところだ。まあ、あちらにしてもネタにされるだけされて、言わば被害者のようなものだろう。
さて、都内で遊んだあと横浜まで帰るのが面倒だと母が泊まりに来た、先日の朝のことだ。目を覚ますと、母が机にあった「日本のかなしい歌100選」をぱらぱらとめくっていた。あ、その本、と寝ぼけ眼で話しかけると「なんでかなしい歌の本を持っているの」と聞かれた。考えてみたが、よくわからない。かなしくなりたくないからまだ読んでない、と答えにならない答えを返した。
和歌が多いのね、と本を閉じた母に、じゃあこれは?と東直子さんの「十階」を渡してみた。わたしの通っている講座の先生なんだよ、ほら、とブックカバーを外して見せると、キリンかわいいね、という感想。少し中を読み、エッセイにふふふと笑ったあとで、結局貸すことになった。
この展開は、すこし意外だった。母とわたしとでは興味の向く方向がまるで違っていて、わたしのすることは(一般的な指標があるもの以外は)たぶん何も理解されないし、認めてはもらえないんだろうという、暗い、予感めいた思いをいつからか抱きつづけてきたからだ。だから、母がわたしが情熱を傾けていることに少しでも興味を持ってくれたのは、素直にうれしいと、そう思った。
無論、親に認めてもらったところでそれがどうしたという話なのだが、そう割り切るにはわたしは「いい子でいたい」と思ってきてしまった気がする*2。この前実家に戻ったとき、母の運転する車に乗りながらぽつぽつと現状報告や、これからの話などをした。どうなるかはわからない。ただ、いろいろなものから自由になりたいと、今は感じている。
 

*1:女心である

*2:異論は認める