死にかけた話

子どもの頃に、祖父の運転する車で中央分離帯のガードレールに突っ込みかけたことがある。
車の真正面に、切り込むようにまっすぐに近づいてくるガードレールを見て、後部座席の真ん中に座っていたわたしは「あ、わたしは終わるんだ」と一瞬で理解した。
その後、助手席に座っていた母が横からものすごい勢いでハンドルを切って(母親とはすごいものだと、思い返してみてしみじみと思う)、居眠りをしていた祖父もそれでようやく眼を覚ましたらしく、すぐに路肩に停車した。ぼんやりとしたままの祖父に怒りを向ける母の剣幕に驚きながら、いま自分は決定的に死に損なってしまったのだと感じていた。
半年ほど前に祖父が亡くなったせいかどうかはわからないけれど、わたしはもう死んでいるんじゃないかと思うことが最近多くなった。いまここにいるわたしは、あの日に死んでしまったわたしが、生きたいと一瞬でも思ってしまったために見続けている夢なのかもしれない、と。
だから、先日の怪談短歌イベントでこの歌が読みあげられたとき、見ぬかれてしまったような気がしたのだ。

、と思えばみんなあやしい……このなかの誰かが死者である読書会(佐藤弓生