ケータイ短歌とお堅い短歌

についての議論が、金曜日からこっち熱かったです。概要はこちらから。私のおおもとの興味*1はこの議論とはちょっと違うところにあるので、この中に混ざるのは申し訳ない気がしますが…。
自分は夜ぷちにほとんど投稿していない*2し、気持ちも近接しているわけではなかったので、両者から少し離れた場所から眺めている気になっている。しかし、中間にいるわけでもないんだな、たぶん*3。でも表題のような語があったとして、じゃあ自分はどこなんだろう?って考えるのは、考えないより良いことだと思うんだ。ただ言葉ばかりがあまりにひとり歩きするのは…いや、それも発信側が制御できることでもないもんな。言うのは野暮か。
でも、こういう議論をしていると、純粋に趣味としてやっている人からは、楽しければいいじゃん、火種撒かないでケンカしないでやってきゃいいじゃん、なんで余計なことすんの?と思われてしまうかもしれない。それも仕方ない。でも、それだとお互いがお互いに目に見えるけど無視をしているという、不健康な状態になってしまうんじゃないか。議論している側だって、カテゴライズしてすっきりするのが目的なんじゃない。むしろどうやったら両者が有機的に繋がれるかという部分に主眼があるのだと思う。

*1:短歌、ひいては言葉の矮小なツール化

*2:「あなたの思いを歌にかえてお書きください」というコンセプトに違和感があったから、というのが私の中での結論だったんだけど、実は「耳で聞くラジオ番組」だったからかもしれないということに初めて思い至った。短歌は目でも愉しむものだし、おそらく自分は響きや通りの良さよりそちらを優先していた

*3:例えて言うなら、カタカナのトの一画目の始点がお堅い短歌で終点がケータイ短歌だとしたら私がいるのは二画目の終点